【速報】被害者を植物人間にして反省の色が見られない辻敬太さんの記事、閲覧数ダントツの一位を記録

1 : 2021/03/09(火) 08:16:15.09 ID:26M5ezfia
第1位:「『僕を殺しにくればいい』と彼は言った」“植物状態”の息子を介護して9年 被害家族が有名経営者・辻敬太氏にいま訴えたいこと

😅

2 : 2021/03/09(火) 08:16:31.75 ID:26M5ezfia
https://twitter.com/bunshun_online/status/1369060786455244800
3 : 2021/03/09(火) 08:17:03.61 ID:26M5ezfia
https://bunshun.jp/articles/-/43885

2011年9月11日の21時ごろ、当時18歳だった男性・Aさん(27)は大阪府泉南市の国道をバイクで走行中、22歳の青年が運転する乗用車と衝突し、
遷延性(せんえんせい)意識障害(いわゆる植物状態)となった。記事はそのAさんの一家が9年半にわたる介護生活と事故加害者への複雑な心中を語ったものだ。

 記事内で、加害者の青年の名前は明かされていない。しかし、Aさんの母親が同記事をある有名若手経営者の名前をハッシュタグをつけて拡散したことで、ネットは一気に炎上した。

 その人物とは、経営コンサルティングや投資事業を手掛けるEARTHホールディングス株式会社の代表取締役社長・辻敬太氏(31)。人材育成家として「じっくり聞いタロウ」(テレビ東京系)などに出演するほか、地元の関西では「辻敬太のハピジャパ」(KBS京都テレビ)でメインコメンテーターを務めている。「人生巻き込んだ者勝ち」(万来舎)などの著書もある、いま注目を集める若手経営者だ。

4 : 2021/03/09(火) 08:17:09.01 ID:26M5ezfia
「辻氏の運営するオンラインサロン『辻敬太起業サロン』は、会員数は700名とそこまで多くありませんが、
月の会費が3万円と高額なため、月単位の売り上げではキングコング西野氏の運営する『西野亮廣エンタメ研究所』に次いで国内2位となっています。
これは、堀江貴文氏や落合陽一氏などの著名人を上回るということです」(テレビ局関係者)
5 : 2021/03/09(火) 08:17:33.90 ID:26M5ezfia
動画では保身としか思えない言葉ばかり」
 2月中旬からネットでは辻氏の名前が交通事故の加害者として一気に広まり、「事故を隠蔽している」「反省していない」などの批判が相次いだ。それを受けて辻氏は、2月27日に自らのYouTubeチャンネルで事故について言及した動画を公開している。

《(過去に過ちを犯してしまった)そんな人たちが、じゃあもう挑戦したらダメなんですかっていう話なんですよ僕は。(中略)挑戦できなくなるんですよ、はっきり言って、一回失敗したり、一回こけたり、一回何か過ちを犯してしまうと一生ね、立ち直れなくなるんすよ。でもそういう人たちもたくさんいる中で、僕はそれがなんかほんとに違うと思ってるんで》

6 : 2021/03/09(火) 08:17:38.89 ID:26M5ezfia
《事故を起こしたのは事実です。(被害者の)お父さんお母さんに、今も謝罪の気持ちはもちろん、本人にも謝罪の気持ちは忘れていませんし、この10年間忘れたこともないです》(2021年2月27日 辻敬太氏YouTubeチャンネルより)

 しかし彼の動画を見て、Aさんの両親は複雑な表情を浮かべている。

「私たちにしてみれば、彼の動画で語られているのは保身としか思えない言葉ばかりです。裁判以降、彼から実際に謝罪を受けたことは一度もありません。腹が立つというよりは、呆れてしまいました」(Aさんの父)

 文春オンライン特集班は、Aさん一家と辻敬太氏双方の徹底取材を行った。すると交通事故の被害者家族と加害者が平行線を描いた10年間が浮かび上がってきた。

7 : 2021/03/09(火) 08:17:55.81 ID:26M5ezfia
判決の日は「染めたツンツン髪」で法廷に登場
 Aさんの父が語る。

「辻氏は経営者として成功しているみたいですね。時々テレビに出ているのは知っていましたが、彼を見ると当時の怒りと悲しみを思い出してしまうので、極力見ないように避けていました。でも、ここまで有名だとは話題になるまで知りませんでした。事故が起きた日から片時も彼のことを忘れたことはありません」

 事故が起きた2011年の9月11日、Aさん一家の生活は一変した。

「最初は事故現場から近い救急センターに搬送されたのですが、脳へのダメージが大きかったのですぐに岡山の脳損傷被害者専門の病院に移されました。なんとか一命はとりとめましたが、息子が身動きひとつ取れなくなってしまったという辛い現実に耐えられず、何度息子と一緒に死のうと思ったかわかりません」(Aさんの母)

8 : 2021/03/09(火) 08:18:11.04 ID:26M5ezfia
一家が住む大阪から岡山は遠く、母だけがAさんの傍に残る形で岡山に一人暮らし、父とAさんの兄は大阪に残るバラバラの生活が始まった。交通事故の刑事裁判は、その慣れない介護生活が続く中で始まった。2012年10月9日に大阪地裁岸和田支部で、辻氏に対して禁固2年、執行猶予3年という判決が下された。その日の辻氏の様子を夫妻はよく覚えているという。

「法廷に立った彼は、染めた髪の毛を整髪料で固めてツンツンに整えていたんです。なんでこんなに余裕あるんだろうと驚きました。

「一生にわたって、被害者の方とご家族に誠心誠意対応します」
 法廷には、当時岡山で治療していた息子も来ていました。寝たきりの状態で、意識があるかはわからなかったのですが……。それなのに辻さんは、判決が出て退廷するとき、黙ってそのまま出て行こうとしたんです。だから私は『何か言うことないの』って呼び止めたんです。すると彼は私たち夫婦に向かって謝ったので『そうじゃないでしょ、この子に謝るんでしょ』と。そうして初めて息子に頭を下げたんです」(Aさんの母)

 夫妻の記憶では「彼が謝ったのは、この時と待合室で会った時の2回だけ」だという。

Aさんの食事の準備をする夫妻 &Copy;文藝春秋
「事故直後に息子が手術室で生死を彷徨っているとき、私たちが待合室で無事を祈っているところへ辻さんと親御さんが後から入ってきました。最初、彼は何か言うでもなくぼーっと立っていた。親族の1人が耐えられず『お前、黙ってるだけか、何も言えないのか、謝るって知らないのか』と怒鳴ってしまい、すると親御さんが無理やり彼の頭を下げたんです」(Aさんの父)

 刑事裁判の供述調書には、辻氏が被告人として次のように述べたと書かれている。

《この裁判が終わった後も、一生にわたって、被害者の方とご家族に対して誠心誠意対応します

9 : 2021/03/09(火) 08:18:23.73 ID:26M5ezfia
裁判では「改めてお見舞いに行く」
 判決は、辻氏について「過失は比較的重大である上、その結果は極めて重大である」「被害者は、落ち度がないにもかかわらず、前記障害を負ったものであり、その無念さは察するに余りある」としながらも、「今後は、改めてお見舞いに行くなど、被害者及びご家族に対し、誠心誠意対応していく(中略)などと述べており、反省の態度を示している」という事情も考慮して、「直ちに被告人を実刑に処するのが相当であるとまではいえない」として執行猶予を認めている。

 しかしその後、辻氏がAさんのお見舞いに家を訪れることも、両親に連絡をすることも一度もなかったという。

 事故の損害賠償についての民事訴訟も行われたが、話し合いの末にAさん側の請求を辻氏がすべて受け入れる形で決着。2017年6月23日に保険会社からAさん家族のもとに、億単位の多額の賠償金が振り込まれている。

10 : 2021/03/09(火) 08:18:37.80 ID:26M5ezfia
その後、辻氏は若手経営者として脚光を浴びるようになり、SNSやメディア出演で多くの人の目に触れる機会が増えた。テレビに出演する辻氏を見るたびに、夫妻はチャンネルを変えたという。介護は9年目を迎えていた。

「胃ろうになると聞いた日の夜は涙が止まりませんでした」
 遷延性意識障害の介護は過酷なものだ。

 床ずれを起こさないために数時間に一度は体勢を変える必要があるが、Aさんは180センチと大柄なので、介護者が1人ではそれすら難しい。Aさんの両親は夜間も交替で起き、喉が詰まらないように痰の吸入もする必要がある。

 食事は口から摂取することはできないので胃に管を通して注入する形だ。プロテインドリンクのような液体を手に、Aさんの父は力なく笑う。

11 : 2021/03/09(火) 08:18:50.08 ID:26M5ezfia
お腹から入れるのに、バナナとか一応味があるんですよ。食事ひとつとっても大変です。ゲップができないからお腹の空気を抜いて、体の緊張を解く薬と白湯を注入してからようやく食事を点滴のように流し入れるんです。もう10年近くやっているのにたまに失敗することもあります。胃ろうになると聞いた日の夜は涙が出て止まりませんでした。もう大好きなカレーや唐揚げを食べられないのか、と」

 Aさんが一日を過ごすベッドサイドには、事故直後に友人たちからもらったという「おい! Aっ がんばれ!! みんながついてるから!!!」と書かれたコルクボードが飾ってある。「親が言うのも恥ずかしいですが、Aは人気者だったんですよ。わざわざ学校を休んで面会に来てくれた友達もたくさんいました」(Aさんの父)

12 : 2021/03/09(火) 08:19:14.25 ID:26M5ezfia
同じ2016年頃から、Aさんの両親は辻氏のSNSやYouTubeに対して何度もメッセージを送っていた。数年にわたって返信は返ってこなかったが、2020年5月、唐突にFacebookで反応があったという。

辻氏《ずっと我慢してましたがこれ以上は訴訟おこしますね 色んなところに書きこみしてますよね?》(2020年5月4日)

13 : 2021/03/09(火) 08:19:27.68 ID:26M5ezfia
喧嘩腰で「僕を殺しにくればいい」
辻氏《ずっと我慢してましたがこれ以上は訴訟おこしますね 色んなところに書きこみしてますよね?》(2020年5月4日)

辻氏とAさんの父親のFacebookでのやりとり
 辻氏とAさんの父のメッセージはこのように続いている。

父《おこしたら、謝罪はどうなってるんや》

辻氏《わかりましたおこしますね》

父《謝罪は 家の現状見てもないのに 息子の姿》

辻氏《謝罪だけして済むものではないですし法的な罪は僕は償いましたしお金も払いました もちろん今でも決して忘れてません でも僕も前向きに生きなくてはいけないです》

14 : 2021/03/09(火) 08:19:29.24 ID:DAJGk+BN0
長い三行
15 : 2021/03/09(火) 08:19:38.44 ID:26M5ezfia
彼は喧嘩腰でした。『僕にどうせいっていうねん』『僕を殺しにくればいい』などの言葉はハッキリ覚えています。逆に、謝罪に来るとか息子の現在を気遣うような様子は一切ありませんでした」(Aさんの父)

Aさんの父は「法的な天罰下るか分からん」とメッセージ
 同時に、夫妻は「色んなところに書き込み」をしたという点について、自分たちの落ち度を認めてこう話している。

「辛い気持ちをどこかに吐き出したくて、誰にも見られるTwitterやブログに辻氏のことを書き込んだこともありました。書き込み始めたのは彼が経営者として派手な生活をし始めた2015年、16年頃からです。ダイレクトメッセージの言葉遣いも、丁寧とは言えないものだったでしょう。夫が、《そのうちに法的な天罰下るか分からんなぁ》(2017年9月11日)、《お前そろそろええかげんにせーよ!》(2020年4月11日)などのメッセージを送ったのも事実です。

16 : 2021/03/09(火) 08:19:51.85 ID:26M5ezfia
辻氏が法的にはすでに罪を償っていることはわかっていましたが、それでも気持ちを抑えられなかったのは私たちの至らなさです。でももし、彼が10年のあいだに謝罪に来てくれたり、せめて手紙だけでも送ってくれていたら……私たち家族の気持ちも息子を支えることだけに向いていたかもしれません」(Aさんの母親)

 辻氏とAさんの父が話した数カ月後の2020年9月~10月頃、Aさんの母も辻氏とインスタグラムのダイレクトメッセージでやりとりをしている。

「事故からちょうど9年が経った9月11日に彼のインスタグラム配信があり、楽しそうに話す彼を見ていたらどうしても腹が立ってしまって、『今日何の日か覚えてる?』『なぜ謝罪に来ないのか』というコメントを送りました。その後に、辻氏からダイレクトメッセージが送られてきたんです」(Aさんの母親)

17 : 2021/03/09(火) 08:20:12.10 ID:26M5ezfia
辻氏《マジで誰や 名前言え 目の前でどうどうと話しに来い 調べたろか》

そのメッセージにAさんの母が反応し、やりとりは次のように続いている。

母《Aの母親です。おたくが被害者、被害者家族の前に来るべきではないですか?》

辻氏《この前お父様と喋りました これ以上攻撃してくるなら内容証明おくります》

母《なにも攻撃してません(中略)うちの子の前で謝罪して欲しいだけです》

辻氏《とりあえず弁護士から連絡させるから番号下さい(中略)なめられてますね僕も》

18 : 2021/03/09(火) 08:20:34.54 ID:26M5ezfia
「彼からの返信はとても高圧的で、攻撃的に感じました。もしかしたら事故のことなど覚えていないのか、と思うほど対応が冷たかったのです。もちろん、息子に対する謝罪はありません」(Aさんの母)

 辻氏とのやりとりは、Aさんの母が送った次の文章で終わっている。

母《あなたが約束した謝罪9年間ずーと待ってます。来年の9月11日で10年です》

既読がついたまま、返信は来ませんでした。やっと彼と連絡が取れたのに、また謝罪を待ち続けるのかと思うと辛かったです」(Aさんの母)

「家族の希望はずっと同じで、息子に直接謝罪してほしい」
 そこでAさん一家と辻氏の連絡は再び途絶えたが、2021年2月に柳原氏の記事が公開されて問題が再燃。現在も両者の溝は埋まっていない。

19 : 2021/03/09(火) 08:20:36.00 ID:Kj30OV0Sd
この事故
どっちが悪いか結果出てるの?
20 : 2021/03/09(火) 08:20:56.45 ID:26M5ezfia
「事故が起きてから9年間、こちらから連絡しても2020年5月までは何も返事がありませんでしたが、騒動になってからは毎日のように辻氏から連絡が来ます。『お父さん、2人で話しましょう』、『住所教えてください』って。でも僕と彼が2人で話したところで今更何になるのでしょうか。私たち家族の希望はずっと同じで、息子に直接謝罪してほしい、息子がいまどんな毎日を送っているのかを知って欲しい、ただそれだけなんです」(Aさんの父)

 辻氏は2月27日に公開した自身のYouTubeで、昨年5月の電話についてこう語っている。

《お父さん、僕はいつでも会いますとも言いました。そのときも相手方のお父さんは『今回こうやって電話で辻君と喋れたことによって少し前に進めた気が俺もする』と言ってくださりました》

しかしAさんの父は、辻氏のこの受け止めにも違和感があるという。

「僕たち被害者家族と9年越しに電話をして『辻さん、あなたが一歩前進しましたね』と伝えたつもりだったんです。彼がYouTubeで話していることは、僕たちの気持ちと食い違っていることがかなり多い。話が通じている感じがしないんです……」

21 : 2021/03/09(火) 08:21:19.58 ID:26M5ezfia
早口の関西弁で語り始めた辻氏
 取材当日、記者がエントランスをくぐると、辻氏が整髪料などで固めていない髪型に紺色のラフなトレーナー姿で現れた。レンガ調のシンプルで開放感のある部屋で数名のオンラインサロンメンバーが作業中だったが、辻氏は「ちょっと出てて」と指示をしていた。

 男性スタッフ1人と共に、辻氏は記者と対面で席についた。10年を振り返って何を語るのか。辻氏は、記者から目を離すことなく、質問に被せるように早口の関西弁で語り始めた。

―2011年の交通事故と、その後のことについて辻さんにお話を聞きたいと思って来ました。

「いいですよ。じゃあ質問してください。全部答えますよ、嘘なしで、包み隠さず。でもね、はっきり言いたいのは、これ僕が一般人やったらわかるんですよ。でも僕結構いいキャラ持ってるんすよ。今インスタ上で、僕がヒーローみたいになっちゃってるんですよ。得でしかないんですよね。信者の人も増えているし、かっこいいです、という声も聞こえてくるし。

 僕がこの10年間積み重ねて来た信用って思ってるより大きかったんだな、と。さっきも上場会社の社長さんが電話してきてくれて。結局、みんな味方なんですよ。でも、これって僕が10年間、人のために生きてきた結果なんだと思うんです」

――事故被害者のAさんに対して、辻さんはどう思われていますか?

「そりゃ申し訳ないと思ってますよ。そんなの当たり前じゃないですか」

22 : 2021/03/09(火) 08:21:24.50 ID:2yxdoehpd
クズやなぁ
23 : 2021/03/09(火) 08:21:38.90 ID:26M5ezfia
僕の中で今はタイミングじゃないんです」
――辻さんは刑事裁判の供述調書で「一生にわたって被害者の方とご家族に対して誠心誠意対応します」と供述しています。坂本さん一家が一番知りたいのは、なぜその言葉を実行してくれないのか、ということに尽きると思うのですが。

「それはわかっています。でも僕の中で今はタイミングじゃないんです。僕の一生ってまだ終わっていないんです。僕の中では僕のタイミングがあるんです、これは。僕と弁護士さんのタイミングがあるんです」

――被害者ご家族としては「そのタイミングはいつですか」ということだと思います。たとえばお見舞いに直接いけないにしても、手紙を送るなどの方法もあったと思うのですが。

「弁護士からも、それ言われたことあります。でも、僕は手紙じゃなくて直接会いたいです、って断りました。逃げたと思われるのが嫌でね。手紙送ったらいいんかいって言われるんで、どうせ」

――ただ結果として、10年の間謝罪に行かなかったという事実だけが残っています。

24 : 2021/03/09(火) 08:21:54.55 ID:26M5ezfia
10年間というか、事故した当初は病院めっちゃ行きましたよ」

―事故直後に大阪の病院にお見舞いに行かれているのは記録にも残っています。しかし「お見舞いに行くと供述した」裁判が終わってからは行っていません。「こうしておけばよかったな」という後悔はありますか?

「後悔はないです。僕のタイミングではないし、10年の間にお見舞いに行っていれば終わっていた話でもないと思うんです。当時20代だった僕が行くよりも、もっと大人になって、世の中に貢献できた上でいかないと何の意味もないと思いましたし、謝罪できる内容もないと思いました」

――裁判の中で、髪を整髪料で固めていた姿がお母さんは気になったそうです。

「僕は、大切な時は身だしなみを固めておくことが礼儀だと思っているので、髪をカチカチに固めていたことは否定しないですけれども、僕は1人の人として乱れた寝癖で行くよりはカチカチにしっかりと固めた姿で行く方が誠意を見せられると思いました」

25 : 2021/03/09(火) 08:22:05.66 ID:26M5ezfia
会いに行くことを弁護士に止められた
――裁判が終わって手紙は出さないと決めたほかに、弁護士の方とはどんな話をしたんですか。

「裁判中は、まずはしっかり謝ってくれと言われました。それで判決が出たら、刑事罰をしっかりと償ってくれとも言われました。それに対して僕は『前向きにしっかりと生きていきます』と言いました。

 執行猶予が明けた後に、僕、弁護士さんに電話してるんですよ。『もう会いに行った方がいいんですかね?』って。そうしたら『絶対に行かないでくれ』と言われました。(お互い感情的になって)別の事件が起きてしまう可能性があるから、と。僕、裁判の時にお母さんに『地獄の本』っていう本を渡されたんですよ」

26 : 2021/03/09(火) 08:22:21.51 ID:VF7r8Xw2p
つじぃ
27 : 2021/03/09(火) 08:22:25.14 ID:26M5ezfia
「裁判の時にも、本人に謝っているという認識でした」
――「地獄の本」ですか。読まれましたか?

「読んでないです。捨てました」

――それでも、謝罪に行きたいという意思はあったのでしょうか。

「もちろんそうですよ。行きたくないなんか思いませんよ。僕、若い子に自分のケツは自分で拭けって言ってるんですから。実際、お父さんにも(電話で)謝ってますし、裁判の時にも、本人に対して謝っているっていう認識でした」

――刑事とほぼ同時期に始まった民事裁判では、億単位の高額な賠償金が保険会社からAさんに支払われています。その額はどのように決まったんですか。

「僕が保険会社に『全部払え』ってブチ切れたからです。保険会社って値切ろうとするんですよ。あの人らも仕事だと思うんで仕方ないとは思うんですけど僕は担当にブチ切れて、『できるだけ多く払ってくれ』と。僕の母親とも話して、お金で少しでも先方の負担を減らせるならできるだけ払いたい、と思っていました」

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