【野球】現役生活29年、工藤公康が味わった若き日の不覚/プロ野球20世紀・不屈の物語【1989~91年】

1 : 2020/05/19(火) 20:24:22.07 ID:86MfPU279

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

順風満帆の若手時代だったが

2015年からソフトバンクを監督として率いている工藤公康。20世紀を知らなくとも、横浜の自称「ハマのおじさん」時代や、プロのキャリアをスタートさせた西武でのラストイヤーをリアルタイムで見た若いファンも多いだろう。29年という長きにわたる現役生活を過ごした左の鉄腕だ。

 西武へ入団したのは1982年。ドラフト6位という下位での指名ながら、やはり就任1年目の広岡達朗監督に抜擢され、高卒1年目にしてオープン戦の後半には一軍に上がって、ペナントレースでも27試合に登板して、チームが西武となっての初優勝に貢献している。何かと辛口な広岡監督からは厳しい練習を課される一方で「坊や」と呼ばれてかわいがられ、84年の秋にはアメリカの教育リーグへ野球留学。翌85年には防御率2.76で初の最優秀防御率に輝いて、一躍、黄金時代のエース左腕に成長した。

 その翌86年には初の2ケタ11勝。広島との日本シリーズでは1勝2セーブ、第5戦で放った起死回生のサヨナラ打もあってMVPに選ばれている。15勝を挙げた87年には防御率2.41で2度目の最優秀防御率に。リーグ最多の23完投も光る。巨人との日本シリーズでは2勝1セーブで2年連続MVP、胴上げでセンターのカメラに向かってジャンプして話題を集めた。

 新しい価値観をもって行動する“新人類”が流行語になった時代。工藤もエース右腕の渡辺久信らと“新人類”のアイコン的な存在となった。のちに工藤も「野球界で最初にジーンズを履いたのも僕らだったと思います」と振り返っている。巨人の長嶋茂雄や王貞治、同じ時代なら江川卓や原辰徳らスター選手とは一線を画したスター像も“新人類”たる所以だろうか。チームも自身も絶好調。1年目から新人王に選ばれたりこそなかったものの、順風満帆と評して差し支えはないだろう。

「当時は、よく遊びましたね。朝まで飲んで、次の日、投げたら勝った、というときもあります」(工藤)

 老いというものは、じわじわと体に忍び寄り、ゆるやかなスロープを下るように体は衰えていくのだが、どういうわけか、まるで断崖絶壁を転がり落ちるかのように、ガクッと体力の衰えを覚えることがある。老いは、常に同じ傾斜の坂を下っていくわけではないのだ。若手時代の工藤を知るベテランの(?)ファンなら、多少の個人差こそあれ、似た経験をしているのではないだろうか。25歳を過ぎた工藤も、同様だったかもしれない。

急失速から長いキャリアへ

工藤は88年に10勝と成績を下げ、89年から急失速。以降2年連続で規定投球回にも届かなかった。90年は長い西武の黄金時代でも絶頂期といえるシーズンだ。チームは絶好調だったが、自身の調子が芳しくない。原因は肩やヒジの故障ではなく、肝機能障害だった。つまり、暴飲暴食。医師からは「このままでは死にますよ」と告げられたという。選手生命の終わり、という意味ではない。正真正銘の、人間としての命の危機だったのだ。

 だが、工藤は91年に自己最多の16勝を挙げてチームのリーグ連覇に大きく貢献する。どん底の工藤を支え、二人三脚で復活への道を歩んだのが夫人だったという。その一方で、リハビリで出会った筑波大の白木仁氏には「40歳まで現役を続けるために、これから10年間、一生懸命トレーニングに励むのなら協力します。1、2年のつもりなら見ません」と突き放されている。そこから、体のメカニズムを調べるようになり、最先端のトレーニングにも取り組んだ。

 93年には防御率2.06で3度目の最優秀防御率、初のシーズンMVP。95年にはFAで低迷を続けていたダイエーへ移籍して、99年には初優勝、日本一の立役者となって、防御率2.38で4度目の最優秀防御率、2度目のMVPに。かつての“新人類”は、経験豊富な“優勝請負人”に変貌していた。

 歴史のifになるが、大きなピンチがないまま順風満帆に投げ続けていたら、29年の現役生活を送る鉄腕になっていたかどうか。ピンチをチャンスに変える、ということが最近よく耳にするが、ピンチにこそチャンスあり、なのかもしれない。

5/19(火) 11:05
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200519-00000005-baseballo-base

レス1番の画像サムネイル
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http://npb.jp/bis/players/51553865.html
成績

2 : 2020/05/19(火) 20:26:29.80 ID:xmY/cKmH0
コイツ大嫌い
11 : 2020/05/19(火) 20:48:08.94 ID:i/dSq23y0
>>2
お前大嫌い
3 : 2020/05/19(火) 20:30:06.55 ID:BMYDp8kK0
貴重な規定投球回に達したことのある高卒左腕の一人
古谷をなんとかしてほしい
5 : 2020/05/19(火) 20:38:09.37 ID:ZTe5CCc40
>現役生活29年

西武時代って、隔年でしか投げてなかったろw

15 : 2020/05/19(火) 21:53:47.14 ID:CHMkDu940
>>5
間抜け
ググったら一軍定着した1985年~1994年のうち、1990年以外はガッツリ投げとる
16 : 2020/05/19(火) 22:16:00.17 ID:rzGh/tSO0
>>15
ばーか! 低能に間抜けと言われるとは思わなかったわ。
投げていても手を抜いて投げて,延命計ってるわ。
隔年投手,工藤は有名だけどな。
ググるなら,隔年工藤でもググれや,カス!
19 : 2020/05/19(火) 22:31:09.12 ID:CHMkDu940
>>16
よう間抜け
根拠がただの妄想、本当に間抜けだ わら
6 : 2020/05/19(火) 20:42:55.81 ID:UGDohz6I0
工藤といえばセーター
7 : 2020/05/19(火) 20:46:21.90 ID:GSeZ/0ZU0
巨人時代に水野コーチを水野ちゃんと呼んでた
8 : 2020/05/19(火) 20:46:41.72 ID:JtEQ7vyL0
服装のことじゃないのか
9 : 2020/05/19(火) 20:46:54.99 ID:rayeEfNt0
昔の西武はドラフト外やプリンスホテル経由などの裏技で有望な選手集めまくってたよね
工藤も社会人志望なのを強引に獲ったんじゃなかったっけ
12 : 2020/05/19(火) 20:48:51.99 ID:i/dSq23y0
>>9
熊谷組
13 : 2020/05/19(火) 20:51:37.66 ID:6M+0mt3O0
>>9
デーブが引退した頃に話してたんだが
随分前に話通してドラフトで指名するから活躍するなって言われるらしい
20 : 2020/05/19(火) 22:32:36.20 ID:LMgx21BU0
>>9
根本がからんでるんだろ
10 : 2020/05/19(火) 20:47:46.66 ID:6M+0mt3O0
工藤は今の奥さんあっての野球人生だもんな
14 : 2020/05/19(火) 20:59:31.84 ID:WXIEVkcU0
ドラフト6位が意外
甲子園でカーブ見てすごいと思ったのはコイツが初めてだった
26 : 2020/05/19(火) 23:08:34.24 ID:AqbDhw2b0
>>14
もともとドラ1レベルだけど根本が社会人入りを公言させたから、この順位でとれたんや
17 : 2020/05/19(火) 22:17:22.89 ID:d+FNubxt0
ダイエーが球団を手放した十数年前、
福岡の市民球団 になろうとしていたホークスを奪い取った 憎き在日朝鮮人。
七社会による 共同出資の協議が進んでいたところに横槍を入れてきたのがコイツだ。
18 : 2020/05/19(火) 22:28:17.01 ID:LMgx21BU0
巨人時代に引退しててもおかしく無いだろ

松坂もソフバン時代に引退しててもおかしくないもんな

21 : 2020/05/19(火) 22:35:43.77 ID:dhWPzQ0e0
最後横浜にお世話になったのに、監督を要請されても断って喜んでソフバンに行った屑
24 : 2020/05/19(火) 22:46:38.45 ID:4rUJwiN/0
>>21
もっと世話になったのがホークス。
最後に世話なったのは西武。
人的補償の横浜に何の義理も無えよ、バカ
22 : 2020/05/19(火) 22:36:46.18 ID:p/dTGVza0
高校時代の工藤のカーブを見た時の衝撃は凄かった、Y高の三浦より落差が凄かった
23 : 2020/05/19(火) 22:41:08.72 ID:/UUazF1L0
いい左Pは
いくらでも語れるし
語ってて楽しい
25 : 2020/05/19(火) 23:03:49.57 ID:sR9sRaEg0
監督としてはどうなの?

コメント

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